また会う日まで

40代半ばで夫と死別。人生についての気づきを感じるままに。

ある死別ブログからの学び

夫が亡くなって半年後に、私はある決意のもとに通信制の大学で勉強を始めることにしました。さびついた脳みそは思うようには働いてくれませんが、若いころとは違って楽しみながら勉強できることに喜びを感じています。

資格と卒業を同時に取得したいという欲張りな計画のため今年は正念場です。

特に来月からの新学期はクライマックスとなります。己を奮い立たせるべく人参(ご褒美)を考えていますが、欲しいものも行きたいところも特にないのでどうしましょう!

これが私の喫緊の課題です。

 

さて、学びと言っては大げさですが、人の悪口(悪口とまで言わないまでも良く思わない、でも気になる、ということも含め)を言うという行為は、相手に自分を投影しているからだ、ということに気がつきました。以前から薄々気がついてはいましたが最近になって確信に変わりました。

つまり、憎たらしい人は自分に似ているのです。

 

それに気がついたのはある死別ブログを久しぶりに拝見して、なんとも思わなくなったからです。

以前はその方のブログを読むたびにイライラしていました。何年も同じことをメソメソと繰り返し語る内容が腹立たしくて忌々しくて、それでいてランキングのトップにいるという状況が理解できませんでした。おそらくこういった感情を抱くのはは私だけではないと思います。

 

今では存在自体が気にならないので何とも言いようがないのですが、それでも(そのカテゴリーのなかで)なくてはならない方なのではと感じています。ある意味強い人なのでしょう。

そして、ご自身のグリーフワークを兼ねて同じ境遇の方に向けてボランティア活動をしていらっしゃるのだな、と勝手に解釈し、タブの×(バツ)をクリックしました。

 

とはいえ、私自身のグリーフも終わったわけではなくまだ途上ですから、今後も気持ちの揺れ戻しはあると想定し、焦らずにやっていきたいと思います。

そして、『どうでもいいこと』というカテゴリーをひっそりと追加しました。

 

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死別に限ったことではない喪失 悲哀のプロセスについての考察

新たに『読書』のカテゴリーを設けました。

カテゴリーをつくるほどそうたいして読んでいませんけども、これからの励みになるでしょう、という自分への期待と追い込みです。

来月からまた大学の勉強が始まりますのでその前のつかの間にイッキ読みしました。

対象喪失ー悲しむということ』

対象喪失―悲しむということ (中公新書 (557))

対象喪失―悲しむということ (中公新書 (557))

 

現在の私は、三回忌を終えて死別直後よりだいぶ自身を俯瞰できるようになった気がしていましたが、勘違いしているところもあったのだな、とこの本によってあらためて確認することができ、また、人間の感情の普遍的な心理についての理解を深めるきっかけとなりました。

だいぶ前に出版された書籍ですが、古さを感じません。

 

その中の亡くなった人との葛藤はチャラにされて美化されていまうことについて印象に残った部分を記録しておきます。

 

第二章 悲哀の心理過程 

P64 

夫の愛人問題で苦しめられ何度か離婚を決意するほどの状況に置かれ、夫との争いの耐えなかったA夫人は、夫を肺ガンで失った。ところがひとたび夫がガンとわかり、生死の境をさまよう苦痛に満ちた状態に陥るや、献身的看護者になった。そしてその死後は、夫との間がそのように破綻する以前の幸福感に満ちた時代の魅力的な夫像(イメージ)だけが心によみがえった。すでに一周忌が過ぎた後にも、彼女は再婚する気持ちにならないという。そして彼女は言う。『世間には、死んだ夫と結婚しろという言葉があるそうですね』その意味は、死別した夫については、その死によって夫に対する不満や憎しみが消え、生前の良い記憶と、よい対象像だけが心に残るからだという。そして夫のイメージは、実際にそうであった以上に、美化される傾向がある。

 これには納得です。夫が存命中にいろいろあったこと(嫌だったことなど)を思い出しました。それを帳消しにする漂白剤のような死別パワー。強力です。

しばらく私の内側で誰よりも1番、ほぼ神、と『どんだけ~?』なほどに美化されていく夫がいましたが今では『それほどでもないな』といった感じです。

 

 また、ここ最近の私の義理の兄に対する感情については、まさに対象の置き換えに当てはまるものだったのだろうと思われます。

ottotosibetsu.hatenablog.com

 

さらに興味深い一節がありました。

 

第五章 『悲哀の仕事』の課題と病理

P192

『投影同一視による悲哀の仕事』は、自分と同じような対象喪失を経験している人物を見いだし、その人物の悲哀と自らの悲哀を同一視し、相手の悲哀を助けることを通して自らの悲哀の仕事を達成していく。

死別のカテゴリーでブログを記したり、それに反応するのはこれに似ている気がします。

 

 この本でいう対象喪失とは近親者の死や失恋をはじめとする、愛情・依存の対象の死や離別、そして親離れ、子離れ、結婚や転勤に伴う環境の変化やアイデンティティの喪失、自己の所有物の喪失、身体的自己の喪失など広く含まれています。

 私自身は、当時(夫との死別直後)は夢中で気がつかなかった無意識の行動、思考、喪の作業のあいだの気分の移ろいを振り返り、そういうことだったのか!と、思い当たることが多かったです。 

精神科医精神分析家でもある著者ですので少々フロイト色が強めな気がしますが、死別の場合は一周忌を済ませたあたり、少し気持ちが落ち着いたころに読むとよいと思います。

グリーフワーク(悲嘆からの回復)は人それぞれでしょうけれどこじらせると厄介です。

絶望の日々が大好きでそのほうが居心地が良いなら別ですけれど。

 

それにしても人間は生きているかぎり獲得と喪失を繰り返し経験していくのですね。

喪失に対する悲哀は複雑な感情を持つ生き物として死ぬまで続く試練なのでしょう。

何度か転ぶうちに起き上がり方を工夫することが出来てくるのかも知れません。

 

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愛しい君に捧ぐ

日曜の午後。

TVでラブソング特集をしているのを聴き流しながら本を読んでいます。

今日はたくさんの人が亡くなった命日。

この曲が耳とこころに残りました。 

私に出来ることは忘れないこと。

ハナミズキ 一青窈

 

 

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わたしのことは忘れてください

先日夫の三回忌を親族のみで無事に執り行いました。

法事後になって招待しなかった夫の関係者がバラバラに来るので毎週お墓参りしていました。

寒い中そんなバタバタな日々で風邪を引いてしまったり、何だかイライラが募りましたが次の七回忌まで4年の猶予を得て正直ほっとしています。

私のことはもう放っておいてくれ!といったところです。

 

前にも記しましたが「夫の関係者」とは会いたくありません。会う必要もないでしょう。

夫の前では言えなかったことを言い出す輩にうんざりです。

私と付き合う前の、夫の彼女の事を嬉しそうに鼻の穴をふくらませて話してみたり、性格をけなしてみたり、(なんなんだお前は)としらけた顔で聞いていましたけど。

ヤキモチ焼くと思ったんでしょうかね。いい歳してくだらない。

そんな友人(?)を持った夫が哀れです。

 

皆それなりに老け込んで生活感がにじみ出たスタイルと知性のない会話が切ないほどで、しみじみもう関わりたくない、と思ってしまいました。

この2年で私自身が変わってしまったのかも知れません。

 

いや、変わったのは私だけではないはず。

諸行無常

すべてを自然な流れと受け止めて、新しい日々を続けていくほうが建設的ですね。

悲しみに浸ったり、人を嘲ったりする時間は無駄以外にないでしょう。

楽しいことは山ほどあります。

それを心に生きる夫と共に味わい尽くして余生を送るのも悪くありません。

とにかく、今を抱きしめて。 

 

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自戒をこめて

 あと半月ほどで亡き夫の三回忌を迎えます。

親族のみで法要をする予定でいるのですが、

それに先だって夫の友人からの「墓参りに行きます」

というメールにイラっときてしまいました。

なんだかくさびを打ち込まれているような、

見張られているような気分になるのはなぜでしょう。

 

法要にはお招きしていないので別口で来てくださるようで

日も近いこともあって「では法要の日にご一緒にいかがですか?」

と申し上げましたら、あっさり「皆で日にちを決めてしまったので」と言われてしまいました。

 

だったらいちいち私に言わずに勝手に行ってくれればいいのに。

こう思ってしまうのは罰当たりでしょうか。

夫は悲しむでしょうか。悲しいなら化けて出てこい!って感じです。

 

私はおそらく考え方や感じ方は

そうたいして人と変わらないと思っています。

日頃からだいたい他の人の感覚と同じように感じることが多いです。

三回忌あたりから死別の悲しみから離れて

新しい自分の人生を模索し始める人がいるのも何となくわかる今日この頃。

だからなのか以前の知り合い(特に夫がらみの)とはあまり関わりたくないのです。

新しい彼氏を連れて行ったら皆さんギョッとするでしょうね。想像すると楽しいです。

 

 そして噂というものは知らぬ間にひとり歩きしていて、

夫の死を知らせてない遠い知り合いが最近になって連絡を寄越したりしてきます。

何食わぬ感じで対応していますが私の警戒レベルは上がっています。

 

一文無しのすってんてんでしたらこんな深読みをしたりすることはないのかも知れません。半端に残された資産があるのは厄介なものですね。

早いところ使い切って真・善・美を追求したいと思っていますが未だ煩悩の虜です。

 

さて、気を取り直して

今は(大学の)試験勉強に集中します。

 

  

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愛しい人に捧ぐ

(とっくに)2018年になっていました。

しかも8日も経っている。わお。

 

年末年始は

ダウンタウンのガキ使観て年を越し、

今月末にある大学の試験に向けて対策(過去問題をプリントしただけ)

そして録画しておいた映画やドラマを観て過ごしました。

 

試験が終わったら夫の3回忌です。

丸2年 言葉にするとたったの3文字。

 

さて心境の変化はどうでしょう。

 

寂しさは・・・正直言ってあまり感じなくなりました。

この頃また誰かと結婚して・・などと妄想してみたりしますが

それはもういいや、って感じです。

 

ひとりの身軽さ、気安さに慣れたのでしょうね。

誰かと暮らすなんてもう無理な気がします。

元来ワガママですから結婚には向いていなかったんじゃないか、

とまで思い始めました。

 

これからの方針は

生きている意味など考えてもしょうがないことは考えずに

いつ死んでも悔いのないように

いつ愛しい人が現れてもいいように

身も心も磨いておきたいと思います。

 

とりあえず今はもっぱら

増えた体重をどう減らすかでアタマはいっぱいです。

  

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哀しいときめき

低く雲が立ち込める薄暗い午後

その人は夫の面影をたずさえて訪ねてきました。

ottotosibetsu.hatenablog.com

抗がん剤治療のかいもなく余命が幾ばくもないことは、前もって他の家族から知らされていましたが、当の本人から聞かされるのは辛いことでした。

元気なうちに会って話したい、という私の強い念が通じたのかどうかは定かではありませんが彼は会いに来てくれました。

向い合せで座り見つめるその目は夫が蘇って現れた、そんな錯覚を起こしそうなほどよく似ています。

普段は人見知りの愛猫が興味深げに擦り寄っているのを見て、夫が生きていた頃の生活が再現されたような懐かしい気持ちになり思わず「パパが帰ってきて良かったね」と言ってしまい気まずかったですが彼は優しく笑って猫を撫でてくれました。

 

食欲がない、そう言いながらも私が「お腹が減った」と言ったら食事に連れ出してくれました。どちらが病人か、という呆れた話です。

疲れさせてはいけないと思いながらも彼と一緒にいられるのが嬉しくてつい長引かせてしまいました。

不謹慎を承知の上で申し上げますなら、私はまた愛する人ができたという哀しい喜びを味わっています。

 

これほど時間が惜しいと思ったことがあるでしょうか。

「時間よ止まれ」

そう念じながら 枯葉積もる道を歩いたこの日のことを私は忘れないでしょう。

   

  

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