魔の3連休が終わり
穏やかに日々を過ごしています。
善い書物、友人、仲間に恵まれ
悲しむ時間が失くなりつつあります。
一周忌もまだなのに薄情なのでは?
と、自分で自分を訝しむこのごろ
あるQ&Aサイトでピンとくる答えを見つけました。
問いは、私と同じようなものでした。
『配偶者を亡くし、半年を過ぎましたが
もう遠い思い出のようになり、泣くことも出来なくなりました。
私は薄情なのでしょうか』
ベストアンサーに選ばれていたのは
『相手への依存度によって悲しむ度合いは違ってくるのでは?』
というものでした。
たしかに、そう言われてみれば
精神的依存度はそれほど高くなかったかも知れません。
物理的には
例えば高いところの電球交換や
力のいること(固いフタを開けるとか)
メカ(車の手入れ)などで夫に依存していましたが、
諸々の事情で一人っ子のように育ち、
早くに家を出てひとり暮らし(一人でない時もあったけど)
を結婚前までしていた私は
あまり寂しがり屋ではないのかな、と思います。
それでも
夫のことが大好きだったことに変わりはありません。
今でもそうです。
目に見えないだけでいつもそばにいる。
あの死亡宣告の瞬間から私たちの魂は溶け合って
ひとつになったんだ。
密かにそう思っているのです。
女は切り替えが早い、
などとしたり顔で言われるのは
ちょっと心外です。
ま、私の周りには
そんな短絡的でデリカシーのないことを
言う人はいませんので安心しています。
↓ランキング参加中です。押してもらえると嬉しいです。
↓こちらもお願いです。
ありがとうございます。