また会う日まで

40代半ばで夫と死別。人生についての気づきを感じるままに。

悲しむ度合いは依存度に比例する?

魔の3連休が終わり

穏やかに日々を過ごしています。

 

善い書物、友人、仲間に恵まれ

悲しむ時間が失くなりつつあります。

 

一周忌もまだなのに薄情なのでは?

と、自分で自分を訝しむこのごろ

あるQ&Aサイトでピンとくる答えを見つけました。

 

問いは、私と同じようなものでした。

『配偶者を亡くし、半年を過ぎましたが

もう遠い思い出のようになり、泣くことも出来なくなりました。

私は薄情なのでしょうか』

 

ベストアンサーに選ばれていたのは

『相手への依存度によって悲しむ度合いは違ってくるのでは?』

というものでした。

 

たしかに、そう言われてみれば

精神的依存度はそれほど高くなかったかも知れません。

 

物理的には

例えば高いところの電球交換や

力のいること(固いフタを開けるとか)

メカ(車の手入れ)などで夫に依存していましたが、

諸々の事情で一人っ子のように育ち、

早くに家を出てひとり暮らし(一人でない時もあったけど)

を結婚前までしていた私は

あまり寂しがり屋ではないのかな、と思います。

 

それでも

夫のことが大好きだったことに変わりはありません。

今でもそうです。

目に見えないだけでいつもそばにいる。

あの死亡宣告の瞬間から私たちの魂は溶け合って

ひとつになったんだ。

密かにそう思っているのです。

 

女は切り替えが早い、

などとしたり顔で言われるのは

ちょっと心外です。

 

ま、私の周りには

そんな短絡的でデリカシーのないことを

言う人はいませんので安心しています。

 

↓ランキング参加中です。押してもらえると嬉しいです。


人気ブログランキングへ

↓こちらもお願いです。


生き方 ブログランキングへ


死別 ブログランキングへ


日記・雑談(40歳代) ブログランキングへ

ありがとうございます。