死別に限ったことではない喪失 悲哀のプロセスについての考察
新たに『読書』のカテゴリーを設けました。
カテゴリーをつくるほどそうたいして読んでいませんけども、これからの励みになるでしょう、という自分への期待と追い込みです。
来月からまた大学の勉強が始まりますのでその前のつかの間にイッキ読みしました。
『対象喪失ー悲しむということ』
現在の私は、三回忌を終えて死別直後よりだいぶ自身を俯瞰できるようになった気がしていましたが、勘違いしているところもあったのだな、とこの本によってあらためて確認することができ、また、人間の感情の普遍的な心理についての理解を深めるきっかけとなりました。
だいぶ前に出版された書籍ですが、古さを感じません。
その中の亡くなった人との葛藤はチャラにされて美化されていまうことについて印象に残った部分を記録しておきます。
第二章 悲哀の心理過程
P64
夫の愛人問題で苦しめられ何度か離婚を決意するほどの状況に置かれ、夫との争いの耐えなかったA夫人は、夫を肺ガンで失った。ところがひとたび夫がガンとわかり、生死の境をさまよう苦痛に満ちた状態に陥るや、献身的看護者になった。そしてその死後は、夫との間がそのように破綻する以前の幸福感に満ちた時代の魅力的な夫像(イメージ)だけが心によみがえった。すでに一周忌が過ぎた後にも、彼女は再婚する気持ちにならないという。そして彼女は言う。『世間には、死んだ夫と結婚しろという言葉があるそうですね』その意味は、死別した夫については、その死によって夫に対する不満や憎しみが消え、生前の良い記憶と、よい対象像だけが心に残るからだという。そして夫のイメージは、実際にそうであった以上に、美化される傾向がある。
これには納得です。夫が存命中にいろいろあったこと(嫌だったことなど)を思い出しました。それを帳消しにする漂白剤のような死別パワー。強力です。
しばらく私の内側で誰よりも1番、ほぼ神、と『どんだけ~?』なほどに美化されていく夫がいましたが今では『それほどでもないな』といった感じです。
また、ここ最近の私の義理の兄に対する感情については、まさに対象の置き換えに当てはまるものだったのだろうと思われます。
さらに興味深い一節がありました。
第五章 『悲哀の仕事』の課題と病理
P192
『投影同一視による悲哀の仕事』は、自分と同じような対象喪失を経験している人物を見いだし、その人物の悲哀と自らの悲哀を同一視し、相手の悲哀を助けることを通して自らの悲哀の仕事を達成していく。
死別のカテゴリーでブログを記したり、それに反応するのはこれに似ている気がします。
この本でいう対象喪失とは近親者の死や失恋をはじめとする、愛情・依存の対象の死や離別、そして親離れ、子離れ、結婚や転勤に伴う環境の変化やアイデンティティの喪失、自己の所有物の喪失、身体的自己の喪失など広く含まれています。
私自身は、当時(夫との死別直後)は夢中で気がつかなかった無意識の行動、思考、喪の作業のあいだの気分の移ろいを振り返り、そういうことだったのか!と、思い当たることが多かったです。
精神科医で精神分析家でもある著者ですので少々フロイト色が強めな気がしますが、死別の場合は一周忌を済ませたあたり、少し気持ちが落ち着いたころに読むとよいと思います。
グリーフワーク(悲嘆からの回復)は人それぞれでしょうけれどこじらせると厄介です。
絶望の日々が大好きでそのほうが居心地が良いなら別ですけれど。
それにしても人間は生きているかぎり獲得と喪失を繰り返し経験していくのですね。
喪失に対する悲哀は複雑な感情を持つ生き物として死ぬまで続く試練なのでしょう。
何度か転ぶうちに起き上がり方を工夫することが出来てくるのかも知れません。
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